September 19, 2012
September 8, 2012
September 6th
9月6日は歩きまくりの一日でした。
朝いちで、Extra Previewというインテリアプロダクツの企業向け展示会に取材へ。日の出町にあるTabroidというイベントスペースで、印刷工場をリノベーションしてできたといういま流行り?のスタイルでした。迷路みたいに入り組んだ構造で、無骨でかっこよかったです。展示会はプロダクツデザイナーさんと直接話すいい機会で、モノへの思いをバシバシ感じてきました。
その後はかずくんとライブに行く予定で、時間があいたのでちょっと渋谷でショッピング。Opening Celemonyに入ったら秋冬のかわいいものばっかりが並んでいて、買い物欲がかき立てられまくりでした。結局Tシャツとワンピースを購入。Tシャツはピカソの似顔絵が描いてあって、すごく気に入りました。同じシリーズでほかにもいろんな世界の偉人が描かれたものがあって、また買ってしまいそう。
足が疲れたので、東急ハンズの8Fにあるハンズカフェで一休み。夕方頃から雨が降ってたのですが、雨上がりが夕暮れどきにバッティングして、奇跡的にキレイな空がみれました。あまりに芸術的な空だったので、思わず写真をパチリ。
そして、Nestへライブへ。韓国のインディーシーンでいま話題のTrampaulineというシンセポップバンドの初来日のライブ。この3日前にかずくんの友達の麓健一くんに会って、彼が共演するとのことで招待してもらったのです。
Trampaulineは聞きやすくて、ノリやすくて、肌に合う音楽でした。すっごく楽しかった。麓くんもやさしい歌声で癒されました。ライブの後に、かずくんの友達の友達経由で家具デザイナーの人に会いました。音楽と生活について追求しているというかたで、roomieの名刺を渡してみました。こういうプライベートな時間に仕事の話が自然に溶け込むのってなんだかうれしいです。
ポートランドでよくしてた、なんでもない日の夜に友達とバーでお酒飲んでライブ見て話す、っていうすごいなつかしい感覚でした。
たくさん歩くといいことがある、と結論づけてみます。
休日の午前中のはなし
休日の午前中はラジオを聞くことが多いのだけど、今日はたまたまjwaveをつけたらゲストに七尾旅人さんがでてました。その中のインタビュー内容に共感することが多かった。
人間は基本空っぽで、人と会ったり、本を読んだり、景色を見たりと、自分となにかとのセッションから中身が形成されていくのだと。空っぽのコップに水が入ってくように。
わたしは知らない人と会ったとき、その人に対して質問することが多い。どんな仕事してるのか、どこから来たのか、何が好きなのか、って気になる故のことです。それって普通のことと思ってたけど、そうでもないのか?と最近気づきました。小一時間一緒に時間を過ごしても、わたしに対して何も聞いてこない人もけっこういる。ちょっとは何か聞いてよお、という寂しさも感じつつ、そしてわたしに魅力があるなしの以前に、その人からすればわたしは知らない人であって、せっかく縁あって話す空間を共有してるのになんかなあ。なんて言えばいいのかな。ひとまず、世の中の人々は割と他人には興味ないみたいです。わたしは他人に興味が持てる人でよかったな、と思うことにします。
話は戻って、ラジオの中での旅人さんの印象的なエピソード。ふらっと飲みに入ったレゲエバーで歌った。旅人さんはレゲエは聞かないし、そこのお客さんも旅人さんを知らない。でも最終的にみんな歌でポロポロ泣いていて、旅人さんの飲み代がタダになった、と。こういうことが起こるうちは、まだ日本は大丈夫ですって言ってた。
超スーパーオーガニックな人で心洗われました。朝からいいお話が聞けました。
August 27, 2012
2012年 夏の雑感
思い返すこと2ヶ月前。まだ雨がシトシト降る梅雨の時期でした。風邪をこじらせて声帯炎になり一ヶ月ほど声を失っていました。誰ともまともに話せず、かなりフラストレーションがたまっていました。あのときは、早く治したいの一心で、身体が健康であればなにもいらない。とすら思ったものです。
そして、月日がたち今。今年の夏はけっこう遊んでいて、なぜか肌も少しコンガリしてます。フジロックにサマソニ、猿島(上の写真)にバーベキュー、カジュアルなイベントもいくつか、そしてうちに友達を招いたり。お盆は家族で大阪に行ったり、岐阜ではのんびり川遊びもしました。平日も飲みに行くことが多くて、プライベートと仕事、両方を通じて新しい人との出会いがいっぱいありました。
感化されやすい私は、友達や新しく会う人と話していると、気づけばもっとあーしたいこーしたい、と好奇心と欲求がわいています。数ヶ月前の「健康でいられれば他はなにもいらない」ってのはどこへいってしまったのやら。
そんな中、今週末は久しぶりにゆっくり一人で時計を見ずに時間を過ごしました。料理、掃除、洗濯をして、あとは溜まっていた録画番組を消化したり、映画を見たりとぐーたらしました。私が毎週録画している番組のひとつにテレ東の「男子ごはん」があるんですが、今年の2月頃にケンタロウさんが事故を起こし、それ以来毎週ゲストがきて番組が続行されていました。そこでふと、あれ、ケンタロウさんはいつ頃復帰するんだろう、と調べてみたら、衝撃の事実を知りました。高次脳機能障害で寝たきりの状態のようで、復帰はもはや不可能に近いようです。そもそも番組を見始めたきっかけに、ケンタロウさんの多趣味なライフスタイルが好きってところがありました。ものすごくショックです。なにを境にして人生が変わってしまうのか、わからないものです。。
日曜の夕方あたりからは2回目ですが『アメリカン・スプレンダー』を見ました。ソファーでぐうたら見るのに最適な映画です。アメリカで一部のオタからカルト的人気を誇るコミック『アメリカン・スプレンダー』の原作者、ハーヴィー・ピーカーの半生を追う映画です。ちょっと編集と構成が変わっている映画で、ハーヴィー・ピーカー本人も演者と入れ替わりで何度となく登場するし、主人公がコミックの世界へ出たり入ったりと、見ていて飽きません。奥さんジョイスのファッションも好きだし、全体を通して流れるジャズもいい感じです。
あとは見たのは、『ビフォア・サンライズ』と『ビフォア・サンセット』。そしてNHK BSでやっている世界ふれあい街歩き。やさしい気持ちになれる番組です。この3つに共通しているのが、会話してブラブラ待ちを歩くだけというシンプルな内容で見ているだけでその街を旅した気分になれることです。その他では昔からよく聞いていたらラジオ番組「ジェットストリーム」、日本でいうと、「ブラタモリ」や「空から日本を見てみよう」も好きです。空想旅行ってけっこう楽しいです。
あと少し夏は続くけど、穏やかに、安全に、楽しい時間が過ごせますように。
August 12, 2012
チャンスはいつ舞い降りてくるかわからない
帰省中にお母さんが録画していた由紀さおりとピンク・マティーニのコンサート映像を見ました。ピンク・マティーニは世界規模で有名なポートランドのオーケストラバンドで、もちろんこのコラボについては知っていたし、記憶をたどると2009年にポートランドの空港で一度由紀さおりを見かけてました。
はじめて映像を見たけど、由紀さおりの歌は気品ある伸びのある歌声で、すごく素敵でした。バンドメンバーともお互い尊敬し合ってる様子が見えました。
再ブレイク!ともてはやされた今回のいきさつは、ピンク・マティーニのトーマスがポートランドの中古レコードショップで由紀さおりの1986年の「夜明けのスキャット」のLPをジャケ買いして、その歌にほれ込んだということらしい。ちなみにそのレコードショップはEveryday Music(ダウンタウンのCrystal Ballroomの向いのかな?)らしい。アメリカの小さな街のレコード屋に由紀さおりの中古LPがあったこと。トーマスがそれを手にとったこと。すごい巡り合せ。
と、確かに奇跡とも思える今回のコラボレーションだけど、由紀さおりにとっては単にラッキーという話ではないように思いました。というのも、お母さんに聞くところによると、由紀さおりは一時期ヒットを出したものの、歌謡曲の低迷にともなって、しばらくメジャーな舞台からは遠ざかっていたとのこと。でも、純粋に歌が好きで、歌に対する姿勢もまじめで、地方を回ったり、童謡を歌ったりと、売れなくなっても細々と歌い続けていたらしい。だから、フッと舞い込んできた何十年超しの大きな話にも、即時に飛び込むことができたという。
なでしこの澤さんを見ていても思うけど、やっぱり続けることが大切なのだなーと。そしていつ舞い込んでくるかわからないチャンスに、いつでも応えられるような姿勢を常にもっておくことがチャンスをつかむカギなのだな、と。そんな教訓を得たのであります。
July 30, 2012
Fuji Rock Festival 2012
本当にすごかった。本当に行ってよかった。
井上陽水が泣けた。初めてみるRadioheadは十分すぎるほどに圧倒的だった(通の人達いわく2003年は超えられないらしいけど)。トム・ヨークにかなり引きつけられた。冗談ぬきに自分の細胞が覚醒していたのがわかった。ヘトヘトに疲れ果てていたのに、いつまでも聞いていたいって思った。実はそんなにRadioheadのファンではなったし、こういう機会がないと見ることがなかったと思う。あの空間に立ち会うことができて本当によかった。ラッキーだった。
こちらの写真はJack Whiteの「Seven Nation Army」をやっていたとき。このときの会場の一体感といったらなかった。
ベストアクトはやっぱりThe Shinsだった。選手と一緒にようやく見られた、4年越しの願いが叶った。「Phantom Limb」のイントロがきた瞬間にわたしたちのルーツPDXの日々へ瞬時にフラッシュバックした。音楽と記憶のリンクって凄い。せつなくなってちょっとウルっとしながら、うれしくて心底はしゃいで叫んで、感情のカオスに対処ができずにとりあえず飛び跳ねてた。選手が横にいて本当にうれしかった。
FUJI ROCK FESTIVAL 2012 from aya nakashima on Vimeo.
こちらはradioheadが始まる直前の様子。山の上のほうまで人に溢れてて、フェスへの動員数も例年の3、4割増だったそう。アーティストのラインナップも豪華で、雨も降らず、いろんな意味で奇跡的な年だった、と友達が言っていた。 帰宅した今は、日焼けと疲労でグッタリ。脱力感でぼけーっとしてます。July 24, 2012
July 23, 2012
Discover Japan
箱根まで日帰り温泉に行ってきました。
10時半すぎに渋谷を出発、12時前には箱根湯本に到着。都内から車で一時間半もかからず行けてしまうという。予想以上に近いのですね、箱根は。曇天のせいか、日曜日にも関わらず箱根町を走っていてもあまり混雑した様子はみられません。
さっそく今日の目的地、温泉へ。「一休」という立ち寄り湯にいったのですが、それが絵に描いたような風流で完成度の高い空間でした。苔にまみれた山肌からわき水が小さな滝のように流れていて、青い紅葉が空を覆い、30分に一度ほどゴーンという鐘の音が聞こえます。真夏日が続いた中、今日はつかの間の涼しい一日でした。身体の内側までポカポカ浸透するまろかやかなお湯と、ヒンヤリした外気。考えを巡らせながら出たり入ったり、湯あたりすることもなく気づいたら2時間近く入っていました。それにしても長過ぎたかな。
湯上がりは箱根の山が見渡せる廊下に腰掛けて一休み。汗がスーッとひいていきます。それにしても、ここの温泉の効能はすごい。その後数時間はお肌がしっとりもちもちしてました。私が長湯しすぎたせいで、気づいたらもう2時に。急いでランチへむかいます。
本日をもちまして、わたしの好きな食べ物No.1は麦とろごはんになりました。お寿司は2位に降格です。「しずく亭」という自然薯料理で有名なお店で麦とろをいただきました。押し麦ごはんのぷちぷちした食感に、ねばーとしつこいくらいにからむ自然薯。薬味として野沢菜、伽羅蕗、海苔、ねぎ、わさび、そして備長炭で焼いたあじの干物を麦とろごはんに乗っけて食べます。天才的なハーモニーでした。
お腹も満たされたところで、車に戻るとはやてぃの口から「箱根神社には縁結びの神様がおるねんで」のひと言がポロリ。瞬間的に食いついていました。というわけで芦ノ湖沿いを走り箱根神社へ。近頃しょぼんぬだった私は、割と真剣にお祈りをしました。「好きな人から好かれますように」。
箱根神社の境内から鳥居をくぐって石段を降りて行くと、芦ノ湖のほとりにたどり着きます。大きな鳥居の下から一面に広がる芦ノ湖。どこかの方角に向けてブツブツと何かをつぶやきながら真剣に願掛けしている女性がいました。そのガチな後ろ姿を見て、自分だけではないと、みんないろいろ抱えているのだな、と肩の荷が降りた思いがしました。
天候や湯煙も手伝い今日の空は一日中グレーで、温泉にしろ、箱根神社にしろ、箱根の町全体がしっとりと静かな印象を受けました。そして山の石は苔に覆われていて、高く伸びる木や竹は深い緑で、久しぶりに日本の「緑」を見た気がしました。内に秘めた静かな強い意思を感じる濃い緑です。このグレーと緑の組み合わせは日本でしか見れないのではないでしょうか。
アメリカから戻ってから、ふと「日本ってすごい」と思う瞬間があります。温泉にしろ、自然薯にせよ、スモックがかった苔が茂る神社にせよ、日本って本当にユニークな国ですね。しかもそれを感じられる場所が都内からこんな近い所にあるなんて。次に海外からお友達が来たら胸をはって箱根をオススメします。
それにしてもこの素晴らしい一日をおくれたのは、すべてホスピタリティに溢れるはやてぃのおかげ。こんな充実した曇りの日はそうそうありません。ありがとう。
「ディスカバー・ジャパン」な一日でした。
July 16, 2012
『はじめての編集』と『あの頃ペニー・レインと』
菅付雅信さんの『はじめての編集』を読みました。
こちらのプロフィールにもあるように、バブル期も通じて出版、広告の舞台の第一線にいた人です。紹介される事例、作品も美的センスがキレキレなものばかりで、ハンパないモノ作りへのこだわりが伝わってきました。これぞ私が昔に想像していたカリスマ雑誌編集者、という感じ。
菅付さんは雑誌メインで活躍された方で、本書の中に登場する事例も雑誌のことが多かったのだけど、私が担当しているのは「ターゲットメディア」であり、やはり雑誌と通ずる部分が多くあって勉強になりました。特に5章後半と6章あたりが自分の環境と親和性が高かったです。
忘れないように、ポイントをメモメモ。
・編集とは「企画を立て、人を集め、モノをつくる」こと。
・編集は、言葉とイメージとデザインの3つの要素を駆使したアンサンブル
・「新しくて魅力的な表現」をつくるためには、「過去のことと外のこと」を知ることが必要
・ネットの情報の多くはセカンドハンド
・ネットメディアの世界では、ファーストハンドの情報が減りつつあるので、その重要性が増している
自分は本当にまだまだだなーって思いました。まずはもっと足を動かさないと。つまり「自分の目でみて、体験したことに基づく記事、情報を届けること」。著者の言葉を借りると「ファーストハンド」です。当面の目標はこれでいこうと思います。そのためには人にもっともっと会っていかないと。
最後に余談。著者は国内外のアート、デザイン、映画、音楽に関して並外れた知識があるようで、多方面からの引用や事例が出てきました。その中ですごく気になったのがキャメロン・クロウ監督の『あの頃ペニー・レインと』という映画。
若干15歳でローリングストーンズ誌のライターとして活躍した少年のお話です。本文には「音楽オタク少年の童貞喪失記という意味では70年代アメリカ版『モテキ』ですね」、とか書いてあって、興味が湧いて見てみました。これが『モテキ』かどうかは置いといて、すごくハマってしまって結局DVD買っちゃいました。やっぱり青春映画には弱いみたい。
主人公の人との関わりかたにすごい好感を持ったのと、次々に新しい世界の扉をあけいくあの躍動感と興奮が、自分のポートランド時代と少しだけ重なって見えた、ということもあります。そしてバスの中でみんながエルトンジョンの「Tiny Dancer」を歌うシーン。恥ずかしくなるほどベタなのに、どうしてあんなにキラキラして見えるのか。きっと誰にでもある「あの頃」をツンと突っついてくる、そんな映画なのだろうと思います。
June 21, 2012
Factory Girl
『Factory Girl』を見て以来、イーディのことが頭から離れない。
上流階級出身、アンディ・ウォーホールとの出会い、ボブ・ディランとの恋、メディアを賑わす華やかな生活。そしてドラッグ漬けの孤独な最期。
のぼりつめてのぼりつめて、その階段は無限に続くかのように思えて、眩しすぎる時期があって、そしてバブルが弾けるように、何かを境に転落していく。こういう流れにすごい恐怖を覚える。
エピローグにもあったように、イーディは純粋な人だったんだと思う。無鉄砲に自分の興味や欲望にまっしぐらだった、ただそれだけのこと。上の写真、こんな頃の二人を見ると胸がズキンとする。
私は眩しすぎる時なんていらないって思う。明るい場所で好きな人と思い合って一定のリズムで暮していけたらそれでいい。
June 17, 2012
I'm working in Tokyo.
Since I left Portland, it has been 3 years. I have worked in Tokyo.
The first year in Tokyo, I worked so hard at a book production company. I was always sitting in front of Mac, and doing DTP. I just carried on the task someone brought to my desk. It was like a hell. At that time, Portland days were too bright for me. I didn't wanna say like, "That days were good", but my heart was tighten up when I closed my eyes and looked back at the slow and exciting days. Sometimes it was even painful.
But things has changed little by little since the beginning of this year.
*****
Two years later, I finally said farewell to the labor activity, then I changed the job from making books to editing web media. The company currently I work at has some target media. My coworkers are unique and geeks. They stimulates me. The first year at this company, I edited a portal website. I read tons of news everyday and picked up some and arranged them at the first page with the title I wrote. The portal website has 15000000 page views per a month which means incredible number of people read the articles I picked up. What I manage such a mega site was a good experience.
This April, I got a offer of the new position, an editor of new media, roomie. This media is focusing on all things indoor living. The editor team is friendly, also I can write about whatever I want as long as it's about indoor living. This is all articles I wrote so far.
The other day, I went to the big interior exhibition called interior lifestyle Tokyo. There were over 600 exhibitors. I visited each booth for coverage, and I had some designers and label owners said, "I constantly read roomie." "I am a fun of roomie." I saw the readers of roomie in person and they gave some feedback. The experience gave me a great impact. I finally had the sense of what I'm doing. It was like a Helen Keller's "water!"
I want to meet more new people and things, write about them, publish as the contents people find something exciting from them. I am greedy. I wanna have fun with my job. PLUS it is my pleasure if my job brings something good to the society even a little bit. I'm looking for the cross-point of the two aspects. This is such an abstract explanation, but this is all what I can explain right now.
Since I came back from Portland, I was in the long tunnel, then now I slightly see the light down the road. Now I can say with confidence, I like what I'm doing. I'm exciting the new day is coming.
P.S. Actually I'm writing this for sometime when I have a hard time with my work. hehe.
May 28, 2012
April 22, 2012
おじいちゃんへ
おじいちゃんはいつも新しことを体験させてくれたね。思い出はたくさんあるけど、その中でおじいちゃんの器用で芸術的なところ、ユーモアあふれるエピソードをいくつか話すね。
小学校低学年のとき、夜になかなか寝付けずおしゃべりをしていた私たちを見かねて、おじいちゃんが子供部屋に投入されたね。もちろん「静かに寝付かせるために」。でもおじいちゃんが自分の若いころの話をおもしろおかしく話すから、私たちはさらにヒートアップ。しまいには目はギンギンに冴えわたって爆笑まで巻き起こる始末やったね。おじいちゃんの任務は失敗に終わったけど、暗い部屋の中でお腹を抱えて笑ったあの夜は今でもよく覚えてるよ。
手先が器用なおじいちゃんはいつも手早くモノを作ってくれたね。本物の竹を使った手作りの竹馬で遊ばせてくれたし、夏休みの作品もおじいちゃんに相談すると工場へ連れてってくれて一緒に作ってくれたね。おじいちゃんは絵も上手でおじいちゃんが描いているのを横でマネして描いてたら、新聞の絵のコンテストで入賞したの覚えとる? そのほかにも好きなお菓子があると2,3個じゃなくて箱買いしてくれたり、部活の試合の応援にきてくれたときは、近所のスーパーのアイスクリームを買い占めて差し入れてくれたね。
社会人になって仕事から帰るといつも「ごくろうさん」とか「かわいいかわいい千恵ちゃん」と言ってくれたね。その言葉に癒されて、一日の疲れがふっとんだよ。私はお菓子作りが好きで、私が作ったお菓子を「おいしいおいしい」と食べてくれたよね。おじいちゃんは字がとてもきれいだったから、家族の誕生日にはいつも一言メッセージを書いてくれたよね。おじいちゃん、ずっと大好きだよ。
おじいちゃんは小さい頃よく一緒に野球をしてくれて、あまりに真剣に投げるから、僕は空振りばかりしていました。川へも連れて行ってくれて魚つかみもさせてくれたね。行動派で意外性のあるおじいちゃんは僕たちの好奇心を満たすばかりか、いつも想像を上回る体験をさせてくれたね。そのダイナミックさは僕たちの子供心をわしづかみにしていたよ。将来おじいちゃんみたいなお父さん、おじいちゃんになって、与えてくれたことを子供たちに伝えていくからね。
おじいちゃん、いままでありがとう。これからも私たちのことを見守っていてね。
大介・幸恵・彩・千恵 より
2012.4.21 孫4人からの弔辞より引用
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